プロフィール
担当ヒーラー
杉田 景子
オンラインプラクティショナー
私がヒーリングと出会った頃、私は耳の不調から脳腫瘍と診断されて3年が経過していました。
開頭手術を勧められていました。
私は、10代で父を発症から1年も満たない間に病気で亡くしました。
父は人一倍働き者で健康診断でも長年異常なしの健康体でした。
それが春先に体調を崩し、病名がわかったのがその年の夏の終わりでした。
入院後帰宅することなく、その年の暮れに亡くなりました。
きわめて健康体の人があっけ亡くなってしまうのを目の当たりにして
自分の健康を気遣うようになりました。
姉が始めたヨガに興味を持ち始めたのもこの頃でした。
それでも会社勤めで日々忙しい毎日で自分の身体の為に使える時間も限られ
20代で子宮内膜症を発症しました。
毎月耐え難い痛みと貧血で苦しい思いをしました。
医療機関に受診をし薬を処方してもらいましたが
子宮内膜症が月の限られた期間であるのに対して
薬を服用すると毎日体調が悪く、薬を服用することを諦めました。
それ以降、退職を機に慢性疲労を抱えながら
薬と病院にお世話にならない生活を努めてきました。
ヨガ、食事療法、自然療法、アーユルヴェーダ、アロマテラピー、
イトーテルミー、サプリメント、健康補助食品、光線治療など
様々なものを取り入れ、体調管理をしてきました。
健康診断でも低血圧以外は異常なし。
その矢先の脳腫瘍でした。
片耳の聴力を失い、2年後には歩けなくなるかもしれないと言われました。
これまで学び実践してきた各種療法を続けても
急速に進行する頭痛と体力の衰えは留まることはなく
手術に対する恐れと
生きづらさと将来の不安を感じていた最中に
ヒーリングと出会いました。
病名を告知されてから3年が過ぎていました。
一番初めに体験したクリスタルボウルライブでは
当時痛みのあった頭部、肩、膝、趾の付け根など
体中に広がる痛みの箇所が
クリスタルボウルの振動で触れられてもいないのに
響きあうのです。
演奏中続く共鳴。
そして演奏後、波が引くように共鳴が収まっていきました。
ライブ会場に集う大勢の方のいる中で
私の体調を整えてもらえた気がしたのを今でも覚えています。
あまりに衝撃的でライブ会場で何が起こっているのか
しばらくは理解できずにいました。
クリスタルボウルの音は何を私にもたらしたのか?
サウンドヒーリングに興味を抱かずにはいられませんでした。
そして
聴力を失っていく私を救ってくれたヒーラーさんの一言を
私は一生忘れません。
「あなたの肉体の右耳は聞こえなくなっても
あなたのエネルギーBODYにある右耳は
完全なままで存在しています。」
病名を告げられた時には、まだ聞こえていた右耳は
時間の経過と共にほとんど聞こえなくなりました。
まだ聞こえているのに、手術では聴神経を切断してしまう。
もっと早く何かできたことがあったのではないか?
何が間違っていたのか?
自分を責めていた私にとって
先ほどの言葉がどれほどの救いになったでしょう。
クリスタルボウルライブ、ヒーリングセッションを通して
肉体と内側、見えない身体であるエネルギーBODYを整えていくことで
ゆっくりと体力を回復すると同時に
手術に対する不安が薄らいでいきました。
そして
病名を告知されてから5年
ヒーリングと出会ってから1年半後
信頼する医師に執刀していただき
腫瘍摘出手術を受けることができました。
不安が信頼に変わり
自責の念が赦しに変わり
手術前夜はぐっすり眠れ
手術当日を笑顔で迎えることができました。
ヒーリングが内側の穏やかさと手術に耐えうる体力を回復してくれていました。
「エネルギーBODYが全ての根幹」
「エネルギーが整うことで、物に命を与えることができる」
先に見えない不安の中で生きる今
ヒーリングを通してエネルギーを受け取ることが
人生の大きな助けになることを
多くの方に伝わって欲しいと願っています。